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【いまも生けるがごとくの空海さん 高野山探訪記-16】



さて長々と書き連ねてきた「高野山探訪記」ですが、
ようやく「奥の院」建物に到着であります。
こころなしか「おお、よく来たな(笑)」みたいなレスを感じる心境。
住宅がメインでいろいろな探索をすることがライフワークになってきましたが、
宗教建築というのはさまざまに住環境に強い影響を与えてきた。
日本家屋で古民家を見て歩けばほぼ均一に仏壇、仏間に出会う。
人間は動物的生存を基本に生きる存在だけれど、
同時に「こころ」という不可解なものを抱き続けながら生きる。
考えるとか、判断するとか、願うとかのふしぎな脳活動と共生している。
日本人は神社という透明に近い宗教空間を尊崇しながら
同時に仏教思想での涅槃、解脱という救済も希っている。
神社信仰は他を排除する性向が少ない信仰心で仏教とも平和共存してきた。
「神さま、仏様」と違和感なく日本人はこころで唱え続けてきた。

空海さんの仏道にはどうもこの在来の神社信仰との合一性部分を感じる。
八十八ヵ所巡りのルーツには空海さんの山岳跋渉修行があるように思う。
日本は非常に山岳地形が特徴的な風土であり、
「みさき」というような言葉には抜けがたく自然崇拝的信仰が基底にある。
大陸的なインド、中国で発祥した仏教がこの日本の風土に出会ったとき、
空海さんのような修験道的な修行者が現れて密教を広布したのは
民族的必然性が強く働いたように思えるのです。
かれが活躍した時代は、仏教伝来から3-400年経過した時代であり、
そうした輸入仏教がいかにも「大陸由来」的な行き詰まりが顕著になって
天皇王権自体がその桎梏に満ちた「奈良の都」から脱出して
京都に首都移転した時代に相当している。
鎮護国家思想の背骨として王権は仏教を導入したけれど、
その教条の意固地さ,頑迷さに振り回されて事実上、制御不能になっていた。
そういう仏教のこの国での行き詰まり期にあらたな風を巻き起こしたのが
空海であり、最澄だったのでしょう。
最澄は比叡山という京都に近接するいかにも枢要の地に本拠を構えたけれど
より在野的な野生を感じさせる空海は政治の中心地からは隔絶した
空中宗教都市をあらたにこの高野山に切り開いていった。
どうもそういう違いが明確だと思われます。

奥の院を見学していたら、修行僧のみなさんが
どうやら空海さんの廟所に向かって讃を唱えられている場面に遭遇した。
はるかな衆生として空海さんにすこし近づけたように思えてうれしかった。
どうもわたし、熱心な空海ファンになってきたのかなぁ(笑)。

English version⬇

[Mr. Kukai, who is still alive, visited Mt. Koya-16]
By the way, the “Koyasan expedition” that I have written for a long time,
We have finally arrived at the “Okunoin” building.
I feel like “Oh, I’ve come often (laughs)”.
It has become my lifework to explore various things mainly in housing,
Religious architecture has had a strong impact on the living environment in various ways.
If you look at an old folk house in a Japanese house, you will meet Buddhist altars and Buddhist altars almost evenly.
Human beings live on the basis of animal survival,
At the same time, he lives while holding the mysterious thing called “heart”.
It coexists with mysterious brain activities such as thinking, judging, and wishing.
While the Japanese respect the almost transparent religious space of a shrine
At the same time, the relief of nirvana and liberation in Buddhist thought is rare.
Shinto shrine beliefs have coexisted peacefully with Buddhism with a belief that has little tendency to exclude others.
The Japanese have continued to sing with their hearts without any discomfort with “God, Buddha.”

Kukai-san’s Buddhism seems to have a unity with this traditional shrine belief.
I think that Kukai-san’s mountain pilgrimage training has its roots in visiting 88 places.
Japan has a very mountainous terrain, and
Words such as “Misaki” are based on a belief in nature worship.
When Buddhism, which originated in continental India and China, encountered this Japanese climate,
It was the reason why Shugendo practitioners like Kukai appeared and spread esoteric Buddhism.
It seems that ethnic necessity worked strongly.
The time when he was active was 3-400 years after the introduction of Buddhism.
Such imported Buddhism has become a prominent “continental origin” deadlock.
The emperor’s kingship itself escaped from the “city of Nara” full of swords
He corresponds to the time when he moved to Kyoto.
Although the kingship introduced Buddhism as the backbone of the national ideology of protection,
Being swayed by the stubbornness and stubbornness of the doctrine, it was virtually out of control.
It was the one that caused a new wind during the deadlock period in this country of Buddhism.
It was Kukai, and it was probably Saicho.
Saicho was based in Mt. Hiei, a very important place near Kyoto.
Kukai, which makes you feel more wild and wild, is isolated from the political center
A new aerial religious city was opened up on Mt. Koya.
It seems that such a difference is clear.

When I was touring the Okunoin, the monks
Apparently, I encountered a scene where he was chanting to the mausoleum of Mr. Kukai.
I was happy to think that I was a little closer to Kukai-san as a far-reaching sentient being.
I wonder if I’ve become an avid Kukai fan (laughs).

【日本人20万基「奥の院墓標群」 高野山探訪記-15】




835年に空海が死去してたぶん幾ばくかの経緯があって、
空海はまだ信仰の道を生き続けているという神話がうまれ、
入定し鎮座している奥の院周辺が「もっとも涅槃に近い」場所と認識され
多くの衆生が死後の安寧利益を求めて蝟集してきた。
その総数20万基にもなるという墓標・墓域群。
現代の我々は寺の「墓地」に葬られることが自然と思っているけれど
そういう死の様式化は少なくとも仏教伝来以前には習慣はなかったはず。
また、仏教導入初期は鎮護国家思想と連動する国家意志の色合いが強く
墓をそこに建立するという習慣はなかったと言われる。
やがて寺という現世での結界、浄土に近づきうると思える場所に
最後の人間の「不動産」願望として墓地を求める意識が芽生えたのだろう。
そういう日本人の仏教との精神関係史として考えれば
この高野山奥の院墓標群は象徴的なものかも知れない。
寺と墓地という関係性の初源の姿であるようにも感じる。
いろいろ思わぬ人物の痕跡も見出されて興味深い。
戦国期以降の武将たちの墓地は多いのだけれど、
なかにはそれより遙か以前の人物も散見される。
上の2番目の墓地は「六朝の柱石」というキャッチフレーズで
記紀に名の残る忠臣、武内宿禰の名前まで発見できる。
六朝というのは天皇6代にわたって勤仕したという意味で、
まともに計算したら常識をはるかに超える年齢まで活躍した人物。
そうかと思えば「法然上人」という仏教の一宗派の創業者の墓域もある。
現代では常識化している宗派のセクト争いのようなものは
ここではまったく止揚されてしまっている。
仏教徒として法然さんはなんのこだわりもなく空海さんに仕えているとみえる。
はるかな弥勒菩薩の救世思想という仏教教義の原点に忠実だとも思える。


そういう墓標群の中でもこちらのカタチは特異。
無縁仏のための集合墓のようなのですが、
仏教伝来以前の社会で基本であった竪穴住居、
そして霊廟施設として日本古来の古墳をも想起させてくれる。
仏教伝来、寺院の建設ラッシュが統一国家形成期に一気に訪れ、
一方では古墳は急速にフェイドアウトしていく。
しかし古層の日本人意識としてこういった「鎮魂の形態」があるのだと思う。
無縁墓として竪穴の入口も開放されていて清々しい。
入口の架構は鉄さびも見られるので鉄骨で造作されているようにも見える。
近現代になって集合墓の需要が生まれてきたものかもしれません。

高齢化社会が進行・深化してきている日本社会。
こういう「死後の不動産」というものの選択肢の多様化も身近なものになるか。
先人たちのこういう「選択」に思いが去来します。

English version⬇

[200,000 Japanese “Okunoin Tomb Mark” Group Koyasan Expedition-14]
There was probably some history of Kukai’s death in 835,
The myth that Kukai is still alive on the path of faith was born,
The area around Okunoin, which has been settled and enshrined, is recognized as the “closest to Nirvana” place.
Many sentient beings have gathered for profit.
A group of grave markers and grave areas with a total of 200,000 units.
Today we naturally think that we are buried in the “graveyard” of the temple.
Such stylization of death must not have been a custom, at least before the introduction of Buddhism.
Also, in the early days of the introduction of Buddhism, there was a strong national will that was linked to the national idea of ​​protection.
There was no custom to build a tomb there.
Eventually, a temple, a barrier in this world, where you can approach the Pure Land
The consciousness of seeking a graveyard may have sprung up as the last human desire.
If you think of it as a history of spiritual relations with Japanese Buddhism
This group of grave markers at the back of Mt. Koya may be symbolic.
I also feel that it is the first source of the relationship between a temple and a graveyard.
It is interesting to find traces of various unexpected people.
There are many graveyards for military commanders since the Warring States period,
Some people are far earlier than that.
The second graveyard above is with the catchphrase “Scapolite of the Sixth Generation”
You can even discover the name of Takenouchi no Sukune, a loyal retainer of the Kiki era.
The sixth generation means that he served for the sixth generation of the emperor.
A person who was active until an age far beyond common sense when calculated properly.
If you think so, there is also a grave area of ​​the founder of a Buddhist sect called “Honen Shonin.”
Something like the sect struggle of denominations that has become common sense in modern times
It has been completely suspended here.
As a Buddhist, Honen seems to serve Kukai without any particular commitment.
It seems to be faithful to the origin of the Buddhist doctrine of the distant Maitreya Bodhisattva’s thought of salvation.

This shape is peculiar among such grave markers.
It’s like a collective tomb for an unrelated Buddha,
A pit-house as a residence, which was basic in society before the introduction of Buddhism
It also reminds us of an ancient burial mound as a mausoleum facility.
Buddhism was introduced, and the rush to build temples came during the period of unified nation formation.
On the other hand, the tumulus fades out rapidly.
I think that there is such a “form of requiescats” as the Japanese consciousness of the old age.
The entrance to the pit is open as an unrelated tomb, and it is refreshing.
The frame at the entrance also looks like it is made of steel because iron rust can be seen.
Or it may be that the demand for collective tombs was born in modern times.

Japanese society where the aging society is progressing and deepening.
Will the idea of ​​”real estate after death” gradually become familiar?
My thoughts come to this kind of “choice” of our predecessors.

【織田信長の名まで 奥の院参道墓標群 高野山探訪記-14】




ほとんど予備知識なく迷い込んだような高野山・奥の院。
参道入口近くの司馬遼太郎文学碑をかろうじて読んでみたけれど、
一部が不鮮明でそのときには全貌はわからなかった。
で、歩き進む内にたくさんの墓所、墓標が林立している様子がわかる。
目的地は空海が眠るとされる奥の院建築なのですが、
見るともなくそれら墓標群の文字が目に入ってきます。
なにやら聞き覚えのある日本史上の有名人の名前が見られる。
「え、薩摩家のなんとかさん? なんで?」
というように驚かされるウチに段々と有名人ランクが上がっていって
ちょっと脇道に入ると「織田信長」という名前まで出てくる。
ちょっと、オイオイというキツネにつままれたような気分になってくる。
そのさらに奥にはやや高所に至って「豊臣家墓所」もあるではありませんか。
その異常さに驚きを通り越して、おかしみが盛り上がってくる。
そもそも墓標であるのに戒名の類ではなく、歴史上の通名が記されているあたり、
どうにもアタマに大混乱が巻き起こってくる。
それらのどれもが苔むしていて、司馬遼太郎さんの文章通りのたたずまい。

高野山というのはたしかに真言宗の根本道場であるワケですが
800年代中期の開設以来、朝廷や権力機構の尊崇を集めてきた経緯があり
多くの衆生が物見高く押し寄せてもくる存在だったので
そういう「客寄せ」要素として区割りしてあるものか、
というのがわたしの最初の直感、想像だったのですが、
どうもそういう俗世的な価値感ではないようです。
実際にこのような「場所取り」をしている武家などが全部で20万基あるという。
墓所というのは死後の「住宅」とも思えるその「敷地」。
おおくの歴史上の有名人と言っても、どうも戦国期以降の武将名が多い。
そこで出てくる説が弥勒菩薩による救世思想というもの。
弥勒は現在仏であるゴータマ・ブッダの次にブッダとなることが約束された
菩薩(修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来に
この世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる考え方。
この56億7千万年後という時間は、現代の宇宙論的に太陽系の存続時間と
そう大きく違わないという奇妙な符合も指摘されているけれど、さて。
生きている間、無数の殺生を重ねて権力を握った人間たち、およびその縁者にとって
そういった罪業を救済してくれる仏教思想に傾倒したのだという説です。
高野山真言宗派にとって、そういう名目で多くの寄進が権力者から寄せられるのは
あえて拒むような性質のことではないでしょう。
ただ、信長は無神論者として知られて高野山と並ぶ比叡山を焼き討ちした人物。
残された縁者のなかの誰かが、高野山に掛け合って墓地を確保したのか。
中世的権威として高野山もまた信長の攻撃対象だったとも伝わっているので、
真偽のほどはどれも歴史の闇の中ですね。

English version⬇

[To the name of Oda Nobunaga Oku-no-in approach tomb mark group Koyasan expedition -14]
[To the name of Oda Nobunaga Oku-no-in approach tomb mark group Koyasan expedition -14]
Koyasan / Okunoin seems to have lost his way with almost no prior knowledge.
I barely read the Ryotaro Shiba literary monument near the entrance to the approach,
Some were unclear and I couldn’t see the whole picture at that time.
Then, as you walk, you can see that many graveyards and grave markers are standing in a forest.
The destination is the Okunoin architecture, where Kukai is said to sleep.
You can see the letters of those grave markers without seeing them.
You can see the names of famous people in Japanese history that you are familiar with.
“Well, somehow from the Satsuma family? Why?”
As I was surprised, the celebrity rank gradually went up.
If you enter a side road, you will see the name “Oda Nobunaga”.
I feel like I’m pinched by a fox called Oioi.
Isn’t there a “Toyotomi family graveyard” at a slightly higher place in the back?
The anomaly goes beyond surprise, and the humor rises.
Although it is a grave marker in the first place, it is not a kind of Dharma name, but a historical name is written.
Somehow, a great deal of confusion occurs in the head.
All of them are covered with moss, and they look exactly as Ryotaro Shiba wrote.

Koyasan is certainly the root dojo of the Shingon sect,
Since its opening in the mid-800s, it has been revered by the imperial court and power organizations.
Because many sentient beings were rushing to see
Is it divided as such a “customer gathering” element?
That was my first intuition, my imagination,
Apparently it’s not such a secular sense of value.
It is said that there are a total of 200,000 samurai families who are actually doing this kind of “place-taking”.
A graveyard is the “site” that seems to be a “house” after death.
Many historical celebrities have the names of military commanders since the Warring States period.
The theory that comes up there is the idea of ​​salvation by Maitreya Bodhisattva.
Maitreya was promised to be Buddha next to Gautama Buddha, who is now Buddha.
Bodhisattva (practitioner) in the future 5,670 million years after the death of Gautama
The idea that it appears in this world, becomes enlightened, and saves many people.
This time of 5,670 million years later is the duration of the solar system in modern cosmology.
It has been pointed out that there is a strange sign that it is not so different, but by the way.
For humans who have taken power after countless killings during their lives, and their relatives
The theory is that he was devoted to Buddhist ideas that would relieve such sins.
For the Koyasan Shingon sect, it is the reason why many donations are made by those in power under such a name.
It’s not something that you dare to refuse.
However, Nobunaga is known as an atheist and is the person who burned down Mt. Hiei along with Mt. Koya.
Did any of the remaining relatives cross over Mt. Koya to secure the graveyard?
It is said that Koyasan was also the target of Nobunaga’s attack as a medieval authority.
The truth is that it’s all in the darkness of history.

【空海が眠る「奥の院」司馬遼太郎碑文 高野山探訪記-13】



2日間、高野山探訪記休止していましたが「奥の院」の続篇です。
北海道人としては土地としてはあんまり馴染みのない和歌山・紀州。
そのなかでも山上の別世界的な高野山ということで周辺知識はまったくなかった。
金剛峯寺という真言宗の総本山の名前だけは知っていたけれど、
そこを探訪してみるとさらに奥に「奥の院」があって、
しかもいまでも弘法大師空海は生けるがごとくはるかなお弟子さんたちから
毎日の食事を捧げられながら、鎮座されているというのですね。
ということで、かわいい僧侶像に誘われて奥の院探訪を決意。

この奥の院に至る道筋は「絵地図」によれば約3km。
往復するには6kmの移動距離なので結構な運動量にもなる、修行か。
その途中にはたくさんの墓標が建てられていて、
歴史上の有名人たちが空海の尊名を慕って蝟集しているという。
いかにも関西文化圏の空気感、時間経過の積層が強く感じさせられる。
日本国家に正式に編入されてからまだ150年ほどの時間しか持たない
北海道の現実感覚とは違う時間が流れている雰囲気。
空海の死去(835年)からも、1200年近い時間が経過しているのに
まだこのような敬愛が存在し続けていることに
日本の仏教と精神史の存在感をまざまざと知らされる。
途中には司馬遼太郎の碑文も置かれている。


今回の写真整理の機会に全文が読めるように画像を修正してみた。
一部はそれでも読みにくいのですが以下に。
〜高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。
高野山はふしぎなほどに平坦である。空中に一個の都市でも展開しているように
堂塔・伽藍・子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。
横道に入ると、中世「別所」とよばれて、非僧、非俗のひとたちが集団で住んでいた
幽迷(?)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。
さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、
もっとも奥まった場所である奥の院には、僧空海がいまも生けるひととして
四時、勤仕されている。その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと
思えるような大門がそびえているのである。
大門の向こうは、天空である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空が
ひくく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市が
じつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで
唯一ともいえる異域ではないか。  司馬遼太郎〜

国民作家といわれた氏の文章に勝る表現はない。
歴史から教えられる衆生として高野山を巡っていたいと思います。

English version⬇

[Kukai’s Sleeping “Okunoin” Ryotaro Shiba Inscription Koyasan Expedition-13]
It is a sequel to “Oku-no-in”, although I was suspended from visiting Koyasan for two days.
Wakayama and Kishu are not very familiar to Hokkaido people as a land.
Among them, I had no knowledge of the surrounding area because it was Mt. Koya, which is another world on the mountain.
For the time being, I knew only Kongobuji, the main temple of the Shingon sect,
When I explored there, there was “Okunoin” in the back,
Moreover, even now, Kobo Daishi Kukai is still alive, from far-reaching disciples.
You are sitting down while offering your daily meals.
So, I was invited by a cute monk statue and decided to visit Okunoin.

The route to this Okunoin is about 3km according to the “picture map”.
It’s a 6km travel distance to make a round trip, so it’s a good amount of exercise, isn’t it?
Many grave markers were built along the way,
It is said that historical celebrities are gathering together in love with Kukai’s famous name.
The atmosphere of the Kansai cultural area and the accumulation of time have been strongly felt.
Only about 150 years have passed since it was officially incorporated into the Japanese state.
Atmosphere that time is flowing different from the reality of Hokkaido.
Almost 1200 years have passed since Kukai’s death (835).
That this kind of respect still exists
You will be informed of the presence of Japanese Buddhism and spiritual history.
An inscription by Ryotaro Shiba is also placed along the way.

I modified the image so that the full text can be read at this opportunity to organize the photos.
Some are still hard to read, but below.
It goes without saying that Kukai opened on Mt. Koya in the early Heian period.
Koyasan is mysteriously flat. As if it were deployed in one city in the air
The temple tower, the temple, the temple, etc. tower the ridge, deepen the eaves, and hold the fence.
When entering the side street, it was called “Bessho” in the Middle Ages, and non-monks and non-professionals lived in groups.
There is a ghostly (?) Place, and it smells much less profane than a temple.
In addition, there is a mossy graveyard in the woods since the Middle Ages.
In Okunoin, the deepest place, the monk Kukai is still alive.
I am working at four o’clock. At the starting point of the road, I wondered if the gate of Miyakonojo in the Tang dynasty was also like this
There is a towering gate that seems to be.
Beyond the Daimon is the sky. Nodding in the mountains, the emptiness of the four seasons at four o’clock
It’s big. Looking at such a void from Daimon, this religious city
In fact, it seems that it is not a reality, but an illusion in the sky.
Indeed, Koyasan is one of the various cities in Japan.
Isn’t it the only different area? Ryotaro Shiba ~

There is no better expression than the text of a national writer.
I would like to visit Mt. Koya as a sentient being taught from history.

【断熱・気密配慮の納骨堂と光背付き「寝仏」さん】


先日、北海道の工務店グループ「アース21」のZoom例会・発表から。
岩見沢・三笠の高断熱高気密工務店の雄、武部建設さんの最近作。
北海道ではいわゆる寺社専門の工務店(社寺大工)の存在は寡聞にして聞かない。
北陸地方などの専門工務店が北海道内の文化財的な施設での受注があるけれど
北海道内ではそういう専門工務店ではなく一般建築の工務店が受注する。
武部建設では最近、仏教寺院や神社、さらにはキリスト教関係からも受注があり
「この分ではイスラム系の発注もあるかも」と期待されているようです(笑)。
ということで宗教建築について、工程を含めた設計・施工の様子を聞いた。

ちょうどわたしのブログ記事で宗教建築を連載しているので
まことにタイムリーな話題提供で興味津々に聞いておりました。
北海道の高性能住宅に先端で取り組む工務店として
非住宅なので居住性能より合理的な建築工法選択をしつつも、
人間が長時間そこに滞在することが想定される空間では重厚に
断熱に「配慮」した、いわばコスパのいい断熱の工夫がみられた。
一方でそのお姿が面白くて写真譲渡を依頼したのがこちらの寝仏さんと
背景に採用されたステンドグラスの「光背」という表現ぶり。
説明を伺うと、この寺院に営業活動(?)されている「仏師」さんがいて、
その方が受注してデザイン制作されたものだという説明。
仏像の安置された空間は、納骨堂に連なった「礼拝室」で、
故人のお骨をこちらの納骨堂に納めているご家族がお盆や命日などでの
礼拝と同時に僧侶に経を上げていただく場所として考えられているとのこと。
そういう空間で納骨堂ではあるけれど比較的に滞在時間が長く想定されるので
他の部位とは断熱的に区分けし住宅に準ずる重厚さで断熱している。
コスパを考えながら、利用者の「快適利便性」に配慮しているのですね。
納骨堂本体とはこの「礼拝室」では断熱の考え方に区別を付けている。
こういった区別をしつつ根本的に熱環境が破綻しないよう設計施工されている。
いかにも北海道の作り手らしい考え方での仕上げだと思いました。
それにしてもこの仏像、なかなかすばらしい(笑)。
寝ている仏の姿ってよくあるのですが、光背とバランスがいい。
なにやら仏体に降るあたたかな光がまるで暖気に満ちたふとんのようです。
ステンドグラスなので彩色は自由に表現できたのでしょうが、
考えて見ると礼拝室と同様、仏にも断熱的配慮が試みられたか(笑)。

ここのところ、飛鳥大仏とか法隆寺のご本尊とか
仏像の姿をウォッチし続けてきて、最果て北海道の仏の空間作りは
その背景、空間の断熱気密配慮にまで至ってきていることに
これもまた日本の仏教建築の高断熱進化形かと思いが至った次第。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛・・・。

English version⬇

[A ossuary with heat insulation and airtightness and a “sleeping Buddha” with a halo]
The other day, from the Zoom regular meeting and announcement of the construction shop group “Earth 21” in Hokkaido.
A recent work by Takebe Construction, a male of a highly insulated and airtight construction shop in Iwamizawa and Mikasa.
In Hokkaido, I don’t hear about the existence of so-called temple and shrine carpenters.
Specialized construction shops in the Hokuriku region may receive orders for cultural properties in Hokkaido.
In Hokkaido, orders are received not from such specialized construction shops but from general construction construction shops.
Takebe Construction has recently received orders from Buddhist temples, shrines, and even Christian relations.
It seems that it is expected that there will be Islamic orders for this amount (laughs).
So he asked about the design and construction of religious architecture, including the process.

Just because my blog post serializes religious architecture
I was curiously listening to the topic in a timely manner.
As a construction company working on high-performance housing in Hokkaido at the forefront
Since it is a non-residential building, while choosing a more rational construction method than living performance,
Profound in a space where humans are expected to stay there for a long time
There was a good idea of ​​heat insulation, so to speak, with “consideration” for heat insulation.
On the other hand, the appearance was interesting and I asked the reclining Buddha to transfer the photo.
The expression “halo” of stained glass adopted as the background.
When I asked for an explanation, there was a “Busshi” who was doing business (?) At this temple.
Explanation that the person was ordered and designed and produced.
The space where the Buddha statue is enshrined is the “worship room” connected to the ossuary.
The family who puts the bones of the deceased in this ossuary is at Obon or on the anniversary of their death.
It is considered as a place for monks to raise their sutras at the same time as worship.
Because it is such a space, it is a ossuary, but it is expected that the staying time will be relatively long.
It is adiabatically separated from other parts and is insulated with a weight similar to that of a house.
You are considering the “comfort and convenience” of the user while considering the cost performance.
In this “worship room”, the concept of heat insulation is distinguished from the main body of the ossuary.
It is designed and constructed so that the thermal environment does not collapse fundamentally while making such a distinction.
I thought it was a finish based on the idea of ​​a Hokkaido maker.
Even so, this Buddha statue is quite wonderful (laughs).
The figure of a sleeping Buddha is common, but it has a good balance with the halo.
The warm light that falls on the Buddhist body is like a futon filled with warmth.
Since it is stained glass, I think I could express the coloring freely,
When you think about it, did the Buddha try to give adiabatic consideration as well as the prayer room (laughs)?

These days, the Great Buddha of Asuka and the principal image of Horyuji Temple
I’ve been watching the appearance of Buddha statues, and at the end of the day, creating a space for Buddha in Hokkaido
In the background, it has come to consider the heat insulation and airtightness of the space.
I thought that this was also a highly insulated evolution of Japanese Buddhist architecture.
Nanmu Daishi Henjo Kongou, Nanmu Daishi Henjo Kongou …

【北海道は紅葉も終了、対ヒグマ停戦合意は?】


年々歳々、季節のメリーゴーランドが味わい深くなる・・・。
しばらく12日間ほど「高野山金剛峯寺」探訪記を書いていたので
時事の進行や季節のうつろいは無視しておりました。
衆議院選挙も投開票が済んで、民意は示された。
民主主義なのでいろいろな感想をみんな持つし、
それぞれに一理ある見解だと思って聞いております。
ただやはり、段々と感じることが強くなってきているのですが、
日本には民主主義が根付いてきているという実感。
そこで示される日本民族の絶妙な「総意」というものに気付かされる。
多様性を反映しながら、しかし集団知性のようなものがある。
社会というものの「成熟」度なのかも知れませんね。
民主主義国家であるプライドは世界に対して十分に持っていい。

さて一方、季節の移ろいの方はゆったりと確実に進行中。
写真は1週間ほど前の散歩道、北海道神宮隣接の「円山公園」。
紅葉も地面まで落ち葉で色づいてきて最後の饗宴。
昨日も夫婦でクルマで遠出していましたが、山は札幌周辺、どこも
すっかり色が褪せてきております。
里の秋も最後の叫び声といった風情。
ただ、気温は比較的穏やかに推移している。
まだすこし冬の本格的到来までには間があるように思えます。

【No.169】2021年11月5日(金曜日)
【No.168】2021年11月1日(月曜日)
【No.167】2021年10月30日(土曜日)
【No.166】2021年10月26日(火曜日)
… 合計 167 個
こちらはことしのヒグマの当たり年ぶり表記(泣)。
札幌市内での目撃情報をマッピングしたもので札幌市HPより。
直近では不明ながら11月5日(金曜日)にも人里での発見情報がある。
この動向を見る限り、まだかれらは「冬近し」とは思っていないかも。
もう少し寒さが増してこないと冬眠に入る気がしないのではないか。
さすがに市内ではヒグマ駆除作戦を大々的には計画できないので、
この状態で冬の停戦が人間社会とヒグマたちの間で合意成立し、
しばしの平安を期待したいのですが、まだ本格的寒気が来ないとなれば、
もう少し脅威が去らない可能性があります。
複雑な心境。冬の寒さは遅くなって欲しいような、早く来て欲しいような・・・。

English version⬇

[Autumn leaves have ended in Hokkaido, and is there an agreement on a ceasefire against brown bears? ]
Year after year, the seasonal merry-go-round becomes more delicious.
I was writing an expedition to “Koyasan Kongobuji Temple” for about 12 days.
I ignored the progress of current affairs and the change of seasons.
The election of the House of Representatives was also voted, and the public opinion was shown.
Because it ’s democracy, everyone has various impressions,
I think that each has a reasonable view.
However, after all, I feel more and more strongly,
I feel that democracy has taken root in Japan.
You will notice the exquisite “consensus” of the Japanese people shown there.
There is something like collective intelligence, while reflecting diversity.
It may be the degree of “maturity” of society.
Pride as a democracy can have enough for the world.

On the other hand, those who are changing seasons are slowly and surely in progress.
The photo is “Maruyama Park” next to Hokkaido Jingu Shrine, a walking path about a week ago.
The autumn leaves are also colored with fallen leaves to the ground, and the final feast.
I used to go out by car with my husband and wife yesterday, but the mountains are around Sapporo, everywhere.
The color has completely faded.
Sato no Aki also has the atmosphere of the last scream.
However, the temperature has remained relatively mild.
It seems that there is still some time before the full-scale arrival of winter.

[No.169] Friday, November 5, 2021
[No.168] Monday, November 1, 2021
[No.167] October 30, 2021 (Saturday)
[No.166] October 26, 2021 (Tuesday)
… 167 others
This is the first notation of this brown bear in a year(Crying) .
This is a mapping of sightings in Sapporo City from the Sapporo City website.
Although it is unknown recently, there is information on the discovery in the remote area on Friday, November 5th.
Looking at this trend, they may not yet think that it is “near winter”.
You may not feel like hibernating unless it gets a little colder.
As expected, it is not possible to plan a brown bear extermination operation in a large scale in the city, so
In this state, a winter ceasefire was reached between human society and brown bears.
I’d like to expect peace for a while, but if the chills don’t come yet,
The threat may not go away a little more.
Complex mood. I want the cold of winter to be late, I want to come early …

【台所・食という修行の場 高野山・金剛峯寺-12】




実はわたし、金剛峯寺でいちばん面白く感じたのはこの「台所」。
年間の来訪者も有数の観光地なのでガイドみたいな「流れ」があって
その最後あたりにこの台所見学が入っているのですね。
真言宗の大本山なので日本中から修行の身の僧侶たちが集合している。
くわしくその数は知りませんが、大量の人数であることは間違いない。
で、仏門に仕える身とはいえ、食欲は当然あるし身を養う必要がある。
そういう当然の生活要素に対し料理を作ることも修行という考えで
広大な作業空間が用意され、それも公開されている。
あとで説明を受けるのですが、高野山ではこの食事の担当責任者の
宗教的位階は大変高く、トップから3番目の役職とされている。
「ありがたく」食をいただくという意味で修行の重要な要素とされている。
こうした説明を受けてスッキリと受け入れることができたものです。
ちなみに、この台所を含む「本坊」全体が和歌山県の重要文化財指定。

1番上の写真は「二石釜」と呼ばれているご飯釜。
ひとつで7斗のご飯を炊くことができるのが3個あって一度に
2石・2000人分ほどのご飯が作れるのだとか。
1石というのは一人の人間が1年間食べるお米の総量と聞くけれど、
年間で考えれば730石のお米がこの高野山本山を維持するには必要となる。
よく歴史記録で寺領という水田の所有権どうこう、という記述を見るけれど
マジマジとその実態を見るようで、総量の巨大さに驚かされる。
いま現在の使用量は不明ですが、最大時にはそれくらいの人口があったか、
その用意はされていたことになる。
面白いのはこのお釜の据えられる上部には「鳥居」の木組みが建てられていること。
ご丁寧に神社のお札とおぼしき木札がその下に立て並べられている。
食という神聖行為の前では神も仏も一体のようです(笑)。
金剛峯寺正門の注連縄といい、空海さんの思想の広大無辺の一端が知れる。


台所の広大さという意味では日本でも最大級なのではないか。
こういう修行を毎日欠かさずに継続させてくることから
いわば信仰の基礎を固めてきたと見ることができる。
宗教というものが持つパワーを目の当たりに実感できます。

English version⬇

[Training place for kitchen and food Koyasan, Kongobuji Temple-12]
Actually, it was this “kitchen” that I found most interesting at Kongobuji Temple.
Since the annual tourists are also one of the leading tourist destinations, there is a “flow” like a guide.
This kitchen tour is included near the end.
Since it is the head temple of the Shingon sect, monks who practiced from all over Japan are gathering here.
I don’t know the number in detail, but there is no doubt that it is a large number.
So, even though I serve the Buddhist gate, I naturally have an appetite and need to nourish myself.
In response to such a natural question, cooking is also an idea of ​​training.
A vast work space is prepared and is also open to the public.
I will explain later, but in Koyasan, the person in charge of this meal
The religious rank is very high, and it is the third position from the top.
It is considered to be an important element of training in the sense that you will have a “thank you” meal.
I personally like to cook meals, so
I was able to accept this explanation clearly.
By the way, the entire “Honbo” including this kitchen is designated as an important cultural property of Wakayama prefecture.

The top photo is a rice cooker called “Futashigama”.
There are 3 pieces that can cook 7 tons of rice at a time.
You can make rice for 2000 people with 2 stones.
I hear that one stone is the total amount of rice that one person eats for one year.
Considering the year, 730 stones of rice are needed to maintain this Koyasan Motoyama.
I often see in historical records the description of the ownership of a paddy field called a temple territory.
It seems that you are really looking at the actual situation, and you are surprised at the huge amount.
The current usage is unknown, but was there such a population at the maximum?
The preparation was prepared.
What is interesting is that the wooden structure of the “Torii” is built on the upper part of the pot.
The shrine bills and the wooden bills that seem to be shrines are carefully lined up underneath.
It seems that both God and Buddha work together in front of the sacred act of food (laughs).
It is called Shimenawa at the main gate of Kongobuji Temple, and you can see a part of Kukai’s thought.

Isn’t it one of the largest in Japan in terms of the vastness of the kitchen?
Because we continue this kind of training every day
So to speak, it can be seen that the foundation of faith has been laid.
You can witness the power of religion.

【空海さんの私的空間・奥殿 高野山・金剛峯寺-11】




わが家の宗旨は真言宗なので、上の空海さんの画像は見慣れています。
江戸時代の頃には空前の旅行ブームが庶民に訪れていたとされ、
わが家系でも「四国お遍路」に何人か行っていると聞いています。
で、この画像は大量に複製されていたのでしょう、
88ヵ所参詣の記念として購入し仏壇に飾られ続けていたのです。
年に数回はお目にかかるお坊さんから「高野山でお大師さんに」と
来訪を促されてもいたので、わたしも願いが成就できたと勝手に決定(笑)。

800年代に天台の比叡山・最澄と同時期に入唐して
最新の仏教法典と密教の教えを日本にもたらせた空海さんは、
同輩的な立場の最澄に対して密教の立場からの「灌頂」を施している。
最澄さんの仏教への真摯な側面を表していて感銘を受けるところ。
そういった経緯もあって、日本では空海さんは未曾有の宗教上の巨人。
とくに高野山に於いては、かれの神格化が歴史時間を掛けて深まってきた。
この本山・金剛峯寺の奥殿は空海生前のままに保持されているかのよう。


空海さんが涅槃に旅立たれるのに不自由がないように
身の回りの必需品や乗り物なども用意周到に準備されている。
この「奥殿」の建築造営でもまだ足らずに、奥の院まで建立され
いまでも毎日、まるで空海さんが生けるがごとく
食事の用意を捧げられ続けているのだという。
日本人としてこうまで永く尊崇され続けているひともいないでしょうね。

関西文化圏に属する司馬遼太郎にも「空海の風景」という著述がある。
日本という文化圏のなかで非常に巨大な影響力を持った
仏教にとって最大級の個人業績だったのだろうと思います。
ことがらが宗教のことであり、その後の宗派の他者への攻撃性などもなく
稀有な幸運に彩られていると言えるでしょうね。
多くの日本人が天皇も含めてこの空間に身を置くことで
空海さんと対面できたような思いを抱くことができる。
建築がその空気感で空海さんの息づかいを表現するかのような。
建築の意味がまざまざと伝わってくるような気がしました。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛・・・。

English version⬇

[Kukai-san’s private space, Okuden Koyasan, Kongobuji-11]
Since the sect of my family is the Shingon sect, I am familiar with the image of Mr. Kukai above.
It is said that an unprecedented travel boom was coming to the common people around the Edo period.
I heard that some people in my family also go to “Shikoku Pilgrimage”.
So this image was probably duplicated in large numbers,
It seems that it was purchased to commemorate the visit to 88 places and continued to be displayed on the Buddhist altar.
A monk I see several times a year says, “To a master at Mt. Koya.”
I was also prompted to visit, so I decided that my wish was fulfilled (laughs).

Entered Tang in the 800s at the same time as Mt. Hiei and Saicho in Tendai
Kukai, who brought the latest Buddhist code and esoteric teachings to Japan,
Saicho, who is in a peer position, is given “abhisheka” from the standpoint of esoteric Buddhism.
I am impressed by the sincere aspect of Saicho’s Buddhism.
For that reason, Kukai is an unprecedented religious giant in Japan.
Especially on Mt. Koya, his deification deepened over the course of history.
It seems that the inner shrine of Kongobuji Temple, the main mountain, is kept as it was before Kukai-san was alive.

So that Kukai-san will not be inconvenienced when he departs for Nirvana.
The necessities and vehicles around him are well prepared.
This “Okunoin” is still not enough, and even the Okunoin was built.
Even now, every day, it’s like Kukai-san is alive.
He says he continues to be devoted to preparing meals.
No one would have been revered as a Japanese for such a long time.

Ryotaro Shiba, who belongs to the Kansai cultural area, also wrote “Kukai no Scenic”.
He had a huge influence in the cultural sphere of Japan
I think it was one of the greatest personal achievements for Buddhism.
Things are religions, and there is no subsequent aggression against others of the denomination.
It can be said that it is colored by rare luck.
By putting themselves in this space, including the emperor, many Japanese
It makes me feel like I was able to meet Kukai-san.
I felt that the meaning of architecture was conveyed in various ways.
It’s as if the architecture expresses Kukai’s breathing with that atmosphere.
Nanmu Daishi Henjo Kongo, Nanmu Daishi Henjo Kongo …

【日本最大の石庭「幡龍庭」 高野山・金剛峯寺-10】




金剛峯寺の主殿から渡り廊下を巡っていくと別殿、奥殿が繋がっている。
奥殿には開祖・空海のための空間がしつらえられていて、
その周囲は500坪にもなるという広大な石庭が造営されている。
日本最大の石庭だそうで「幡龍庭」 と名付けられている。
ご丁寧に奥殿には「勅使門」という最高格式の門もしつらえられている。
その勅使門から奥殿に向かう左右で、幡龍庭は雄龍と雌龍に分かれるとのこと。
上の写真は雌龍の方で、奥に見えているのが勅使門。
2番目の写真が雄龍の様子。
この石庭は全面に京都の「白川砂」を敷き詰め、そのなかに置かれた名石は
空海の生誕地・四国から運ばれてきた霊石とされています。
表現コンセプトとして「青海波大雲海」と銘もあるので
雲の上を雌雄の龍が姿を見せたり見せなかったりする様を表しているのでしょう。

石庭という様式文化は日本で独特に進化したものでしょう。
枯山水という言い方通り、池の水を省略してなお、山水を表現する。
石だけが表現手段になるので、その配置とか大きさなどで
さまざまに見るもののイマジネーションを刺激して止まない。
一種の「抽象絵画」的な手法を造園手法で編み出したものとも言える。
西洋絵画が抽象表現に至るかなり以前に日本文化では、
こんな「禅問答」的な表現を独自に生み出していたと考えられる。
この幡龍庭は明確な表現意図をその名前に刻んでいるので
「こっちがオスでこっちがメスか」とわかりやすいけれど、
龍安寺石庭みたいになってくると、ただただナゾめいてくる。
しかしそれがまたフェッチ心理を刺激して「世界遺産」登録にまで至る。
石という素材で表現するので「モノ」自体が語ることがない。
それを逆手にとって深遠な謎かけを見る者に与え続ける。
スフィンクスやピラミッドみたいで人類が考えた表現手段としては最高レベル。
石庭文化を育んだ人々がまさかスフィンクスを知ってはいなかっただろうけれど、
ある意味ではそれ以上の高等テクニックかも知れない。

龍安寺石庭には数年前まで中国からの観光客があふれかえっていた。
夫婦で関西旅行していてその様子に遭遇した。
こころなしか、石庭の管理も手が及んでいないのではないか、
そして大量の「座ってみる」人たちで、石庭の静寂がまったく失われていた。
おかげでほかの石庭、大徳寺龍源院の石庭にカミさんをご案内して
その喧噪から離れた「静寂美」を味わってもらったことがあります(笑)。
さて、あのような喧噪はふたたび再来するものかどうか、
来し方行く末も注目する必要があるでしょうね。

English version⬇

[Japan’s largest stone garden “Hataryu Garden” Koyasan, Kongobuji Temple-10]
If you go around the corridor from the main shrine of Kongobuji Temple, the annex and the inner shrine are connected.
There is a space for the founder Kukai in the back hall,
A vast stone garden with a circumference of 500 tsubo has been built.
It is said to be the largest stone garden in Japan and is named “Hataryu Garden”.
The inner shrine is politely equipped with the highest-class gate called “Teshimon”.
It is said that the Hataryu Garden is divided into a male dragon and a female dragon on the left and right from the Teshimon to the inner shrine.
The photo above is the female dragon, and the one in the back is the Teshimon.
The third photo shows the male dragon.
This stone garden is covered with Kyoto’s “Shirakawa sand”, and the famous stones placed in it are
It is said to be a spirit stone brought from Shikoku, the birthplace of Kukai.
There is also an inscription “Qinghai wave big sea of ​​clouds” as an expression concept.
It may represent a male and female dragon appearing or not appearing above the clouds.

The style culture of Ishiba is probably a unique evolution in Japan.
As the name “Karesansui” means, the pond water is omitted to express the mountain water.
Since only stones are the means of expression, the arrangement and size of the stones
It stimulates the imagination of things that you see in various ways and does not stop.
It can be said that a kind of “abstract painting” technique was devised by the landscaping technique.
In Japanese culture long before Western painting reached abstract expression,
It is probable that he created such a “Zen question and answer” expression independently.
Because this Hataryu garden has a clear intention of expression engraved in its name
It’s easy to understand, “Is this male and this is female?”
When it becomes like a rock garden at Ryoanji Temple, it just comes to me.
However, it also stimulates fetch psychology and leads to “World Heritage” registration.
Since it is expressed with a material called stone, the “thing” itself does not speak.
Continue to give it to those who see a profound mystery by taking it in the wrong direction.
Like the Sphinx and Pyramid, it is the highest level of expression that human beings have come up with.
The people who nurtured the rock garden culture probably didn’t know the Sphinx,
In a sense, it may be a higher technique.

Until a few years ago, the Ryoanji stone garden was flooded with tourists from China.
I encountered the situation while traveling to Kansai with my husband and wife.
I wonder if the management of the rock garden is out of reach.
And with a large number of “sitting” people, the silence of the stone garden was completely lost.
Thanks to you, I will guide Kami to another stone garden, the stone garden of Daitokuji Ryogen-in Temple.
I once had them taste the “silence beauty” away from the hustle and bustle (laughs).
By the way, is such a hustle and bustle coming again?
You need to pay attention to how you come and go.

【緑・白砂、素材を感じる庭園美へ 高野山・金剛峯寺-9】




金剛峯寺探訪、きょうは主屋から「離れ」空間への移動の縁から。
日本の住宅文化の中にこういった「通路空間」の演出要素は
相当の洗練が積層していると思います。
たぶん日本人のメンタルの部分で連綿と繋がっている感受性要素。
多様な植生を育んでいる本州以南の気候風土で、
それらのハーモニーを楽しむ文化要素が発達したのだろうと思います。
そのなかでもひとつの大きな要素が「白砂」の活かし方ではないかと。
龍安寺の石庭のような、人工加工的な地盤面整備を施すことで、
逆に植物の「生命感」を浮かび上がらせるという手法でしょう。
龍安寺ではそれが一種の極限化が見られて「人間、最後は石だ」みたいな
見るフェチズムの極限のような景観を造形している。
この金剛峯寺にも石庭がありますが、そこへの移動アプローチでも見られる。
さらにいえば、建物間を移動するという文化も
本州以南日本では発達していると感じさせられる。

残念ながらこの部分は積雪寒冷の北海道では受容しがたかった部分です。
半年の間、積雪寒冷。雪が積もってその間微妙な陰影感は消失する。
ようやく春になって雪が融けてもとりあえずは復旧作業しなければならない。
繊細微妙な植生演出をしても本当に楽しめるのは数ヶ月程度で
景色の復旧に1ヶ月近くかかり、雪で死滅する植生もあるので
植え替えたりする手間暇もある。植え替えても鑑賞まで数年のスパンが必要になる。
・・・気候がこういう日本文化に適合しない。
なので北海道ではこういった方向には住文化として発展が向かわなかった。
本州以南的な「花鳥風月」とはまったくちがった地平から
再度、スパンの拡大した新たな「花鳥風月」を創造する以外にない。
いやむしろ、住宅よりはアクティブに大自然そのものを感受する方向が刺激された。
箱庭的な自然いじりよりも、潔くそのなかに身を置く方の文化。

そうではあるのですが、
しかし白砂を魅力的な結界表現として活用して幽玄さを表現するという
こういった精神性の深みもまた、大いに刺激してくれる。
なにげない樹木の造形ぶりが、白砂でコントラストを付けてあげることで
なんとも美感を訴求してくる。
たぶん南北に長く亜寒帯と亜熱帯気候が同居する日本文化社会のなかで、
亜寒帯の方はまだまだ自分の文化を十分に創造できていない。
亜熱帯とはまったく違うことはあきらかなんだけれど、
基本的な日本の「常識」としては亜熱帯特化型で基板形成されているので、
いろいろと文化ギャップが生み出されてくる、ということなのでしょう。
やっぱり北の方から、新たな「花鳥風月」の再構築が必要なんでしょうね。

English version⬇

[Green / white sand, to the beauty of the garden where you can feel the material Koyasan / Kongobuji Temple-9]
Visit Kongobuji Temple, today from the edge of moving to a space “away” from the main building.
The directing element of such a “passage space” in Japanese housing culture
I think there is a lot of sophistication.
Perhaps a sensitive element that is connected to continuous cotton in the Japanese mental part.
In the climate south of Honshu, where diverse vegetation is nurtured,
I think that the cultural elements to enjoy those harmonies have developed.
One of the big factors is how to utilize “white sand”.
By applying artificially processed ground surface maintenance like the stone garden of Ryoanji Temple,
On the contrary, it is a method to bring out the “life feeling” of plants.
At Ryoanji, that is a kind of extreme, like “human beings, the last is stones”.
It creates a landscape that looks like the limit of fetishism.
This Kongobuji Temple also has a stone garden, but you can also see it on a moving approach to it.
Furthermore, the culture of moving between buildings
It makes me feel that it is developing in Japan.

Unfortunately, this part was unacceptable in snowy and cold Hokkaido.
For half a year, the snow is cold and the snow is piled up, and the subtle shadows disappear during that time.
Finally in spring, the snow melts and I have to restore it for the time being.
Even with delicate vegetation production, you can really enjoy it in a few months.
It takes nearly a month to restore the scenery, and some vegetation is killed by snow.
There is also time and effort to replant. Even if it is replanted, it will take several years.
… The climate does not suit this kind of Japanese culture.
Therefore, in Hokkaido, development was not seen as a living culture in this direction.
From a horizon completely different from the “Kacho Fugetsu” south of Honshu
There is no choice but to create a new “Kacho Fugetsu” with an expanded span again.
Rather, it stimulated the direction of feeling the nature itself as a region rather than housing.
The culture of those who put themselves in it rather than messing around with nature like a miniature garden.

That’s right,
However, it is said that white sand is used as an attractive barrier expression to express mystery.
This depth of spirituality is also very inspiring.
By adding contrast with white sand, the shape of a casual tree
It appeals to the beauty.
Perhaps in a Japanese cultural society where the subarctic and subtropical climates coexist for a long time from north to south.
People in the subarctic region have not yet fully created their own culture.
It’s clear that it’s completely different from the subtropics,
As a basic Japanese “common sense”, the substrate is formed in a subtropical specialization type, so
It seems that various cultural gaps will be created.
After all, it is necessary to rebuild a new “Kacho Fugetsu” from the north.